re:感謝申し上げます。  #13252
投稿者: ロータリーTrp1号 (2001/07/22 00:26)

>一つは、奏法(奏者人間)を中心に研究していくタイプ。もう一つは、奏法は
>変えられないのでMp(道具)を中心に研究していくタイプです。両者の主張
>は最初の第一ボタンの掛け違いのようなもので、多分、このままの「ねじれた
>平行線」ではないかと思います。

ですか。そんなに2つのグループに分けられるんですか?このスレのやりとりにおいて、断片的に答えを見ていくと、そう思えるかもかもしれませんが、どちらかなんだ、なんてだれも言ってないと思いますがね。

むしろBフラットさんだけが
 
> 僕自信の内ではすでに歴史に頼る必要もなく「Tpの上達は奏法にあり!」
>で明確です。

 と断言されているだけだと思うんですがね。

例えば、サンデーペッターさんは今回についてはまずはMpの選択です。

>まずはMpの選択です。

と答えられてますが、これは「奏法は変えられないのでMp(道具)を中心に研究していくタイプ」であり、もう一方の派と交わらない平行線の考え方なんて決めつけはおかしいですよ。

 MP(含めた楽器など道具全般)と奏法は、たとえ陰陽の対局であるとしても、二元論的に言えば、この双方が混じり合ってこの世の中(=この場合トランペットの演奏)を形成しているのであって、それを白黒はっきりさせ、分離するかのように考えることはおかしいですよ。光あるところ(=つまり陽)には必ず影(=つまり陰)ができるのではないですか。

 ウエートの置き方が、個人によっても多少違うとはいえ、同じ人でも、そのときどき、状況によって言い方が微妙に違うものだと思います。

 HNさんことヒロ野口さんにまだまことにお答えしてないのですが(またさせていただきます。)、下のスレにあったHNさんのおっしゃることは私の中にも思いとしてはあるのですが(あなたほどのハイレベルではないにせよ)、今の中川先生が道具(MP)のことを強調されておられ、人によっては多少強引な言い回しに思えるところがあろうと、今までの人とは違うアプローチの仕方に興味と関心、そして期待がある故、私は中川先生を支持していると言っているのです。中川先生とて、道具にも重点が置かれているようで、その実、今までの道具はいい加減な部分があったのではないか、との疑問から、MPを開発され、啓蒙されている、ただそれだけであり、奏法が大切ではないなんておっしゃってはないでしょう?
「もしかしたら道具によって劇的に変わるのでは?」
なんて、少なくとも、
「奏法変えたら劇的に変わるのでは?」
と言う言葉より魅力的ですよね。だって、MP変えるのもしんどいことはありますが、奏法変えるのはもっとしんどいですよ。上手くなるおために苦労するとしたら、当たり前と思えるでしょう。でも、その苦労が徒労だったら?道具変えて目から鱗かもしれません。
 道具によって劇的に変わるなんて、結局あり得ないことかもしれません。しかし、必要は成功の母。このような発想とアプローチの仕方、魅力的だと思うのは私だけ?

 とにかく、道具と奏法(=練習)、どちらが絶対なのではなく、双方相まってトランペットの演奏が完成される。これはごくごく当たり前の帰結ではありませんか。

 また、道具選びにおいてですが、ジャンル、スタイルふくめ、楽器をマシンとしてならすだけでなく、音楽そのもの追求により、いろいろ選ぶというこは、必要なことであり、かつ楽しいことだと思いますよ。どなたかも言っておられますね。賛同いたします。

 道具を追求されている方は、個人として自分自身のために(多くの方はそうでしょう)、または先人として使命感とでも言うべき部分で、多くのラッパ吹きのために(中川先生のような方)、どうしたら、より効率良い演奏ができるか、これを今そちらの方面からアプローチしているだけであり、奏法の追求を軽んじているわけではないでしょう。いや、むしろ、道具の追求の中、奏法を追求していると言えるのではないですか?

 極論ですが、ビッグバンド指向の方が、私のロータリーで、しかも自分に合わないほど口径がでかく深い、スロート径もでかく、バックボアの広がりもはやいようなMPで、ファ−ガソンがホルトンの自分のモデルで相応のMP使って出すような音を、奏法の追求によって出すとしたなら、立派でしょうが、苦労してそんなことして、何が良いんでしょうか。もっと使いやすい、あるいは目的(=音楽のスタイル)のあった楽器でそれを追求した方が、効率的に目的が達成できるでしょう?

 私の場合、ロータリー使ってますが、ロータリー用のMPはメインでは使っておりません。それは吹きやすさを重視しているからです。(手持ちのヤマハ14E4も使いますが、今の私にはオールマイティは使えないので。)その上で、息の入れ方等の奏法で(我流ですが)、ロータリーの音や表現を自分なりに追求しています。良いロータリー用のMPが仮に見つかれば、メインで使うかもしれませんが。このような姿勢は、音楽があって、道具があり、そして奏法もある、と言う点で、多少の違いはあっても、おそらく多くの方が実践しておられることでしょう。

 人により、時々により、多少のウェートの置き方は違えども、道具と奏法の双方があって初めて完成する。と思います。

 あなたの真意を読みとっておらず、誤解しているとしたらごめんなさい。

takahiroakiy@do4.enjoy.ne.jp