re:スタンプの記号  #13845
投稿者:  (2001/09/05 09:24)

「TR 1」さん、こんにちは。

>>自分ではairをblow out するのでなくfollow throughしながら、上下の音程に対する息と振動と共鳴のバランスをとるのが、スタンプの練習だと思っているのですが、どう思われますか?<<

基本的には「TR 1」さんに同意致しますが、「上下の音程に対する」という部分に於いての「TR 1」さんの見解が、残念ながら僕には今一つ理解できません。(申し訳ありません)
僕としては、「上下の音程に関係なく(左右されることなく)」という事だと思うのですが...
或いは、例えば「ソの音」の中での「#傾向からb傾向の幅の中から」という意味でしょうか...(このような意味ならば僕には理解できます)

あと、おそらく個人的な感じ方の違いだと思うのですが、特にこの「教本」に関しては、どちらかというと「follow through」というよりは「flow」という方が僕にはシックリきます。
(「得ようとしている物」自体は同じだと思われますが)

//

>>もう少しコンセプト的なことが知りたかったんです。<<

個人的な僕の「スタンプ教本」に関する見解を述べさせて頂きます。

教本2ページ目の「記号の説明」に於いて、スタンプは始めの記号について;
「There must be NO indication which direction the slur is going(記号下の音に(スラーが示している)「方向性」を与えてはいけない)」とあります。
つまり、記号下の音に、「次にくる音」を「ほのめかさせてはいけない」という事になると思います。

この記号は「方向性のない音」を使わさせることによって、その音の「中心(スロット或いはスイートスポット)」を吹き手に体で覚えさせる狙いがあるものだと僕は思います。

「弓矢」や「ダーツ」に例えるならば、「何時いかなる体勢(角度)からも、常に「ド真ん中」を射抜きなさい」ということになると思います。
ですから、「音階や楽曲というものは本来、ド真ん中を射抜かれた音の集合体であるべき」ということを「スタンプ教本」は特に示していると言えるのではないかと僕は思います。

・・・

しかし、ここで「スタンプ教本」にとって問題となるのは、「もしも吹き手が音の「ド真ん中」を感じる事ができなかったら...」という事だと思います。

実は、僕は「響きの中心とピッチの中心を探る練習」にも、いわゆる「スタンプ教本における禁じ手」(全てに於いてではありませんが)を使う事によって「スタンプ教本」を活用しています。

どういう事かというと、「音に方向性を与えてしまう」、 「音をリズミカルに変化させない」(バルブはしっかり変化させます)、 「上ずった、或いはぶら下がった音程の間をしばらくの間さまよってみる」などという事になると思います。

例えば、このようなアイデアと共に教本5ページ目の「ドレードソラーソドー」を吹いてみるのですが、この時、息を真っ直ぐ吹き込んだまま(スピードは変化します)、あくまでも「トロンボーンでゆっくりスラーの練習をしているイメージ」(音と音との間にたくさんの「中間音」を入れてしまいます)を持つ事をお勧めします。
(ちなみに僕は、並んでいる音をつなげてゆく時に、音程を「上下させる」というよりは「前後させる」(自分の「目線」に対して、高い音は前方に、低い音は手前側に並んでいる)というイメージを持っています。)

おそらく、今迄以上にたくさんの「ド」や「レ」や「ミ」や...に出会う事が出来るのではないかと思います。(これも「フレキシビリティー」の内です)
そして、これら幅の広くなった「ド」や「レ」や「ミ」...の中から一番「楽器の響く部分」を見付けていくようにします。(「響く部分」は大体において、それほどピッチの悪い所にはないものだと僕は思っています。)
あとは、チューニング・メーターを見ながら、お好みの周波数の所にその「響き」を持ってくる練習をします。
(この方法において、もしも音程と響きとの接点が合わないのならば、それは楽器の癖である可能性が大きいと思います。それを覚えておいて、演奏時に調整してあげなければならないと思います)

そしてこの後、「スタンプの指示」に従って教本を練習してゆきます。
(僕が意識するのは、音を「カクカク」変えるのではなく、音と音とのつながりを意識しながら素早く次の音の「中心」に「照準を合わせてゆく」感じ、或いは一本の息の線の上に、全ての音が「並んでゆく」感じです。フェルマータ下では、あくまでも「音の中心を捕らえた状態で」音を「保つ(伸ばす)」ことになると思います。)

・・・

話が少し(更に?)脱線してしまうかもしれませんが、「音の方向性」(音が次にどの方向へ動いて行こうとしているのか、又はそのように演奏者が「示唆」するか)は、非常に重要なコンセプトだと思います。そして、どのような音にも「方向性」が「なくてはならない」と僕は思っています。
その上で僕にとって、「トロンボーンでスラーの練習をしているイメージ」は、「音の方向性」を見極める上でとても重宝しています。

そして、そこから得た「方向性の感覚」は、例えばハイドンの協奏曲の一楽章冒頭の3つの音への「アプローチの仕方」やフンメルの協奏曲の一楽章に多数出てくるスラー付きの流れる様な旋律の「膨らませ方」などに非常に大きなヒントを与えてくれた経緯があります。

//

これらは僕の「個人的な見解」であることを、再び申し上げさせて頂きます。


「TR 1」さんにとって、さして珍し事など無かったかもしれませんが、もしも何か「TR 1」さんをくすぐるような事が有りましたら幸いです。