re:公園で生演奏をする権利  #27497
投稿者: オルファ (2007/05/06 22:49)

 ギョッ! とするようなタイトルでしょう。しかし我々はそういう権利を持っているのです。

 話は古くなりますが昭和の30年代から40年代にかけて全国的にこの問題で喧々諤々の議論が出ました。

 そして頭記のような結論に至った理由は、音楽活動の自由、でした。もちろん良識の範囲で、と言う条件がつきます。

 そのころは今よりもっと公園等を含む街頭で生の音楽演奏が行われていました。1番多いのがチンドン屋、地域にもよりますが年に5回くらいは見かけました。そして「歌唱隊」と言っていたような気がするのですが、巡業の歌手たち、年に2〜3回来て市内を巡っていきました。
 
 私たちの町でもっと多かったのは傷痍軍人といわれる人々です。太平洋戦争で失明した人、腕のない人、足のない人等で普通の仕事につけない人たちでした。彼らはラッパ、クラリネット、アコーディオンなどとともに歌を歌って稼いでいました。私の町では年に10回程度は見かけたものです。

 彼らは末端のプロです。以上上げただけでも月に2回程度は生演奏を聴く事になります。そのほかにアマチュアもやっていました。うるさいと言う人もいましたがほとんどの人は好意的でしたし、待ち望んでいる人もいました。やはり生の音楽の力だと思います。

 「公園でやるな」は彼らに取って命取りになるだけでなく、聴く側からは生活しながら生演奏に接する機会を奪う事になります。

 想像してみてください。トランペットはダメ、サックスもダメ、クラもダメ、そして口笛はうるさいからダメ、ハミングもダメ、歌を歌ってはいけない、果ては○○チャン遊びましょ・・・と子供が節をつけて誘ってはいけない公園・・・・・想像できますか。そういう公園や広場にするかと言う事が本気で議論されたのですよ。しかも超一流の音楽家も動いて。

 今我々が良識の範囲内でどこで楽器をやっても良い事になっているのは、そのころの音楽関係者が頑張って権利を守ってくれたからです。

 今回の苦情を申し出た青年にそういうことも話しましたが、例によって自分に都合が悪い事には「嘘だ」と言う返事でした。
 公園は確かに公共の場です。しかし出会いの場でもあるはず。意見が食い違ったら、とことん話し合えばよい。相手を思いやる事も大切、しかし自分を主張する事も大切。相手の思いどうりにすれば、相手を思いやった事になるわけではない。

 私は過去に何度も似た経験をしている。「うるさい」「あっちへ行け」と。しかし動きませんでした。というのは彼らはまず間違いなくトランペットはうるさい、と言う先入観、それも放送での野球応援などの音、ステレオなど電気的にひずんだ音の先入観で聴いています。生の音を聴いても頭の中で電気的にひずんだ音に置き換えている。

 そして同じ人が4〜5回目には「本物のトランペットっていい音なんだねぇ」といってきます。必ずそうなります。そうならなかったのは耳の悪いおばさんのときだけ、この時はさすがに近くはやめました。
 さらに最近では以前「うるさい」と言っていた人が「今日は不調だね」とか「この前より良く吹けた」等と批評してくれます。

 音楽界は奏者がプロであるかアマであるかを問わず、聴衆によって支えられています。分厚い聴衆の層があって成り立つと思います。私自身はそういう層をより厚くしたいと思っています。それには生活の場のすぐ脇で時々生の音を聞いてもらうことだと思います。

 今回苦情を言ってきた若者と話し合うのはかなり難しいでしょう。若干の危険性も感じますし、こちらの言う事はすべて「嘘だ」と言う様な人ですから。しかし気長に待てばいつか話し合う日が来て、「トランペットってこんなにいい音なんだ」と言ってくれると思います。彼が耳の病気でなければ。

 以上長々と書きましたが、まだまだ不十分と思いつつも一応の結論にしたいと思います。皆さん、沢山のご意見ありがとう御座いました。またご心配いただいた方に感謝いたします。

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