ヤマハロータリートランペットについて・・・その2  #4948
投稿者:  ロータリーTrp1号 (99/10/20 15:28)

 さて、ジンガーの古いヘッケルをモデルにして、ヘッケルのコピーをつくるという仕事を引き受けたヤマハは彼のために試作品を作り、さっそく試してもらっています。ヤマハが、仕事を引き受けた理由は、ウイーンとの仕事は、大きな宣伝になるだろうということなど、企業としての計算もあったようですが、ウイーンの伝統文化を守るのに一役買いたいとの思いがあったと聞いています。(えらい!)
 ジンガーの方は、地元を相手にせず、遠い日本を向くなんて、きっと奴はスポンサー料か何かをもらっているに違いないなどと言う、下司の勘ぐりにもめげず、しっかりとヤマハとタッグを組み、仕事を進めていきました。できあがった最初の試作品は、よく言われるヤマハのイメージのそれで、メカは完璧だが、音色が今一つだったようです。同じく試奏した、ウイーンフィルのヘルムート・ヴォービッシュ(ウイーン音大の教授でもあった。)も、同じ意見であり、当初はジンガーとヤマハに無関心を装ったヴォービッシュだが、ジンガーとヤマハの本気を感じ取り、モデルにしたジンガーの楽器は良くないものだったので、自分楽器をモデルにせよ、と秘蔵のヘッケルを差し出した。さらに、音色が今一つである原因は材質的な物ではないかと、金切りばさみでヘッケルのベルを切り取る!と、それをもとに成分分析をしてくれとヤマハスタッフに手渡したそうです。(なんとすごいことを・・・)その結果、成分分析を経て作られるようになったのが、ヘッケルメタルです。ふつうのゴールドブラスとは銅の比率の違いもあったでしょうが、銅と亜鉛の他に若干の不純物が混入しており、それがスパイスになっているらしいです。
 また、この間ウイーンフィルのヨーゼフ・レヴォラ教授などからも楽器を借りたりし、様々な構造分析と製作行程の開発、試行錯誤や試奏を繰り返し、ヤマハのウイーンモデルはだんだんと完成に近づいてきたのです。
 935、945が登場した1977年頃は、ウイーンモデルもまだ発展途上の段階にあったようです。この頃来日したウイーンフィルのメンバーも、ヴォービッシュ、アドルフ・ホラー、ジンガーなどが試奏しています。また、ウイーンフィルではヨーゼフ・ポンベルガーなどもヤマハを使用していると当時のヤマハのカタログにはあります。ただ、当時のヤマハの雑誌の写真を見ると、銀座店にてウイーンタイプを眺めるジンガーとホラーの写真がありますので、ジンガーの使っていた物は、ヘッケルタイプ、つまりウイーンモデルだったんでしょう。(今の937、947の試作品か?)また、有名な話として、1978年でしょうか、カラヤンとウイーンがヴェルディのアイーダを演奏するさい、ヤマハがアイーダ用にロータリーのファンファーレTrp(アイーダTrpといいます。)を作り、カラヤンが大いに感激したとの話があります。
 1989年の春でしたか、ウイーンフィルの来日に合わせ、ウイーンフェアーがヤマハ銀座店でありました。以上のお話の概要は、パイパーズに以前に載った物を、さらにまとめ、資料としてお店に置いてあった物に載ってました。そのとき、ウイーンモデルを試奏しましたが、型番は937、947で今と同じですが、現在の物とは若干仕様が異なるようです。当時、カタログ上には若干の仕様変更はあったものの935、945しかありませんでした。しかし、同時に、現在のドイツモデルモデル(936や946)の試作品も展示してありましたので、様々な特注品は作っていたようです。(D管などもあり、展示してありました。また、特注品は、ホルンやチューバなどなんでもあるようですね。)      (続く)



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