同感、同感  #9668
投稿者:  ロータリーTrp1号 (2000/11/09 15:33)

 大学の時、ローマの松のソロをやりました。テープを今聴くと、下手やのう、と思ってしまいます。
音もはずした箇所もあります。でも、下手だと思うのははずしたところではないんです。フレージ
ングや、音程など、いろいろな部分です。今でも下手ですが、あのときよりはいい演奏ができ
そうかな。

 ところでその演奏会のアンケートに、東京のT区吹奏楽団のTrpの人が、私のソロをくそみそに
こき下ろしてました。ようは、はずすなんてもってのほか。吹く資格無し、てなところだったでしょ
うか。
 このコメント、素直に自分の反省に生かすとすれば、あのソロ、もっともっと死にものぐるいで練
習できたのではないか、とすれば、もっともっと上手く吹けたはずだ。と思います。でも、そのコメ
ント、あまり深刻に受け取れば、ラッパを吹く気力をなくすところです。こんな時は、
 「うっせー、馬鹿野郎。えらそうに言いやがって、てめえはどこの誰さまだか知るねえけどよ、どれ
だけ吹けるって言うんだい。たとえ俺より上手くとも、CDになってるプロより上手いはずねえじゃ
ねえか。人の悪口言ってる暇があったら、てめえの練習でもしていやがれ。」
 てな感じでひらきなおんないと、ソロなんてやってけません。
 実際、そのコメント、音楽手な部分のつっこみはないし、あるいはもっとこうしたらいいという
アドヴァイスもない。暖かみも発展性もない、ただ、傷つけるだけの言葉。この人、上手で自分に
厳しい人かも知れないけれど、音楽は冷めてるんじゃないですか?あるいは人間的に?と思っ
てますが。

 ミスは付き物。ミスはあっても、自分の良さが出れば、何かが伝わるはず。ですから、練習時か
ら、せめて、自分のソロのここを聴いて欲しい、と思って練習すると言いと思いますよ。

 プロもミスしてます。でも、プロはその一回のミスにくよくよしない。少なくとも、ステージ上ではそ
う見えます。N響の「展覧会の絵」を聴いたとき、はずしやすいAsの音を、はずしました。でも、
あっけらかんとして、後はさすがの力演でした。そのとき、なにより、そのプロ根性に感銘を受
けました。

 発展途上なんですもん。至らないのは聴衆の皆さんにこらえてもらいましょうよ。それより、自
分の取り組んでいる大好きなこと、それを聴いてもらえる、さらにはそれを通して何かを伝えら
れる、とっても素晴らしい機会を与えられたんです。そのことに、大いに、喜びと名誉と、誇りを
持って、トライあるのみ!

 この夏、ラジオ放送(地方ですが)までされた、カルメンのソロ、緊張しましたが、うまくいきま
した。1月には「展覧会の絵」です。また緊張です。今から緊張してます。でも、3月に胃ガンの
手術から復帰して、この機会が与えられていることに大いに喜びを感じ、生きていられることを
実感し、周囲の人に(このTLでも励ましていただきました)感謝し、たとえ失敗しても、大いに楽
しもうと思ってます。これまでも、多くのソロで、うまくいったり、いかなかったり。後は開き直り
と根性、そして練習ね。

 H・ガンシュが言っています。Trpで、一度も音をはずしたことがない人は、一度もTrpを吹い
たことがない人だと。
 要は気持ちの持ちようです。お互い、頑張りましょう!